備忘録

色々な事を自分にわかるように勝手に解釈。

写真を撮るとはインプットかアウトプットか

こんにちは。

 

 写真を撮るって今凄い気軽にできる事で例えば旅先で素敵な景色を見つけて携帯で写真を撮りSNSで共有する、家の近くでかわいい鳥や猫を見つけてパパっと写真を撮る、一眼レフカメラを持って撮影旅行に行って写真を撮ってじっくりRAW現像してプリントしてみる、スタジオでのハッセルとかフェーズワンを用いての物撮りやポートレート等様々な「撮る」があります。

 

 「写真を撮る」って言葉の意味というかどういうことだろうって考えた時にその行為ってインプットかアウトプットかって話を知人としててアンケートを周りで取ったらアウトプットのほうが多かったです。意味の問題というか撮るがどの範囲を指しているかという前提が通じていない可能性あるけど。

 

 皆さんはどっちだと思いますか??私はどっちとも言えないというか両方がほぼ同時に行われているなって改めて実感しました。(というかそんなにちゃんと考えたことがなk(ry

 

 写真を撮るってその行動を分解して細かく見ていくと携帯電話のカメラアプリでもコンデジでもデジタル一眼レフでもシノゴとかエイトバイテンのフィルムカメラでも全てに共通なのがシャッターを切るっていう行為なんですよね。撮影によってはライティングを考えたりもしますけど、とりあえず今回は「シャッターを切る」という行為にフォーカスしてみようと思います。何人かで目の前にあるものを写真撮るとしてその写真って人それぞれだと思うしアングルとか画角、構図って本当に千差万別だと思うんですよね。それはその人がそれぞれの感覚だったりセンスみたいなものを持っていてそれに影響されているからだと思うわけです。じゃないとみんな同じものを撮りますよねっていう。それって被写体を自分なりに解釈してこれだ!ってなったからシャッター切ってるわけです。つまりその目の前にあるものを自分の感性フィルターのようなものを通して撮っているということです。

動きのあるもの例えば1分間のダンスを見てどこかで一枚写真を撮るという場合どうでしょうか。人それぞれのタイミングでシャッターを切るので全然違う身体の形だと思うし近い場合もあるかもしれません。この場合もその撮影者がここだ!って思ったからそこでシャッターを切るわけです。

 

 被写体をそのまま写すってのはおそらく人がカメラを持っているというかシャッターを切っている限り不可能で必ずその撮影者の味付けというかセンスが入ると思っています。そのタイミングはその人のセンス。そのアングルはその人のセンス。しかし、センスだけだと写真は成り立たないわけで必ず写る何かが必要なわけです。それを1枚の写真というかネガというかデジタルデータにする過程で被写体を自分にインプットして自分の中のフィルターを通った瞬間にシャッターを切って被写体と自分のセンスを融合させたもののアウトプットがその1枚の写真と考えることが出来るのではないでしょうか。これってインプットしてるけど同時にアウトプットしてるよねって思うわけです。その自分の中にある感性フィルターは生まれた時から様々な物から影響を受けて形成されていくものだと思います。今まで見てきた景色、体験したこと、好きなもの等々。ただ、このフィルター形成に必要なインプット自体もそれまでに形成されているフィルターで精査されているなぁとも思ったり。そのフィルターは無意識レベルに働いていて他の人が撮らないようなものを撮影する、ほかの人が撮らないようなタイミングで撮る、といったその人のスタイルみたいなものになっているのではないかなと思いました。

 

皆さんはどちらだと思いますか?あるいは両方だと思いますか?